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浦添市文化財調査報告書 | 浦添市

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Academic year: 2018

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全文

(1)

浦添市文化財調査報告書

ま え

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前田真知堂A丘陵

・ 前田西上原A丘陵 ・ 前田西前田原A丘陵

—浦添南第一土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告書—

沖縄県 浦

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教育委員会

(2)

浦添市文化財調査報告書

ま え

・ 経

き ょ う

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き ん

せ い

ぐ ん

前田真知堂A丘陵

・ 前田西上原A丘陵 ・ 前田西前田原A丘陵

—浦添南第一土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告書—

沖縄県 浦

う ら

そ え

教育委員会

(3)
(4)
(5)

序 文

 本報告書は、浦添南第一土地区画整理事業に先立ち、平成 25 年度に浦添市教育委員会が実施した、 埋蔵文化財「前田 ・ 経塚近世墓群」の真知堂A丘陵、西上原A丘陵、西前田原A丘陵の発掘調査の成 果をまとめたものです。

 前田・経塚近世墓群は、浦添市字前田と経塚に分布する丘陵に横穴を掘り込んで造られた伝統的な 掘込墓を主とする墓群です。これまでの発掘調査では 1,000 基を超える墓が発見されており、調査 成果によるとこれらの多くは近世に造営されたことがわかっています。

 この近世の墓には、「ジーシガーミ」と呼ばれる蔵骨器が安置されており、その中に納められた人 骨を分析することで、被葬者の性別や年齢、顔立ち、体格、病気など様々な生活の履歴を知ることが できます。また、多くの蔵骨器には被葬者名や社会的地位、洗骨・没年月日等を記した「ミガチ(銘 書)」が墨書きされており、被葬者をとおして当時の歴史的情報を得ることができます。このことは、 文献資料が少ない沖縄において近世の人や家族の歴史にとどまらず、当時の浦添の歴史、ひいては沖 縄全体の歴史を明らかにできる歴史資料であるともいえます。

 今回調査した各丘陵では、沖縄戦の一端を窺い知ることができる遺構も確認されております。西前 田原 A 丘陵では民間人が構築したと考えられる避難壕跡が検出されました。持ち込まれた様々な日 用品や壕内の状況から戦時下の緊迫した様子が伝わり、激戦地となった浦添前田地域の戦時下の様子 が垣間見える貴重な発見がありました。

 本報告書が沖縄・浦添の近世から近代を通じた葬制・墓制、また、沖縄戦を知る上で、市民をはじ め多くの方々に活用されますとともに、文化財の保護と活用についてより一層の関心を持って頂ける ものになれば幸いに存じます。

 末尾になりますが、現地調査および資料整理にあたってご指導・ご協力を賜りました方々、並びに 事業実施にあたりご協力を賜りました方々に深く感謝申し上げます。

      平成 27 年 2 月

(6)

例 言

1.本報告書は、浦添南第一土地区画整理事業に先立ち、沖縄県浦添市前田に所在する埋蔵文化財「前      田・経塚近世墓群」前田真知堂A丘陵・前田西上原地区・前田西前田原A丘陵の発掘調査の成果を   まとめたものである。

2.「前田・経塚近世墓群」は、沖縄県浦添市の字前田から経塚の丘陵一帯に所在する墓群である。なお、

 発掘調査地点の所在地は、前田真知堂A丘陵:沖縄県浦添市前田真知堂 1015 他 21 筆と里道、前   田西上原A丘陵:沖縄県浦添市前田西上原 1243 他 2 筆、前田西前田原A丘陵:沖縄県浦添市前   田西前田原他 683 他 13 筆と里道である。

3.発掘調査は、浦添南第一土地区画整理事業に伴う発掘調査であり、浦添市都市建設部区画整理課  の委託を受けて、浦添市教育委員会文化課が実施した。

4.資料の整理にあたり、下記の方々の指導・助言をいただいた。記して感謝申し上げる。  陶磁器 新垣 力(沖縄県立埋蔵文化財センター)

5.発掘調査に係る現場作業は、平成 25 年度に実施した。調査期間は、平成 25 年 7 月 22 日∼平  成 25 年 12 月 26 日である。調査の実施にあたっては、株式会社イビソク 沖縄営業所、有限会社ティ  ガネーの支援を受けた。

6.報告書作成は、平成 25 ∼ 26 年度の二ヶ年にわたって実施し、浦添市教育委員会文化課職員及  び嘱託職員がこれにあたった。

7.副葬品および戦争遺物、人骨の実測及び写真撮影については、文化課職員及び嘱託職員がこれに   あたった。なお、蔵骨器の実測及び写真撮影等については、株式会社 琉球サーベイに委託した。

8.本書の執筆を以下のように分担した。編集は安斎 英介が行った。  安和 吉則  第1章第 3 節(1)、第2章、第3章第1∼4節・6節  安斎 英介  第1章第 1 節・2 節・3節(2)、第4章1∼ 4 節・6節  上原 千明  第 1 章第3節(3)、第5章1∼4節・6節

 菅原 広史  第3章第5節、第4章第5節、第5章第5節

9.本文中で使用した引用・参考文献は、各章末に記した。

(7)

凡 例

1.本書に表示した基準高はすべて海抜高を用い、メートル単位で表した。

2.地形測量図に記した座標は、世界測地系を用いた。日本測地系を用いる場合は、その旨を明記した。 3.平面図に記した方位は、基本的には座標北を示す。磁北を用いる場合は、その旨を明記した。 4.遺構断面図を作成した位置は、遺構平面図に横断ラインを示し、方向は英字で表した。 5.地形測量図については 1/200 を基本として作成し、1/200 ∼ 1/500 の縮尺で掲載している。 6.遺構図については、1/20 を基本として作成し、1/40 ∼ 1/100 の縮尺で掲載している。

7.遺物の実測図は、出土品のうち蔵骨器は 1/6、それ以外は、1/1 ∼ 1/4 の縮尺で掲載した。それ    らについては、掲載頁に明示している。

8.掘込墓の各部名称と計測位置については以下のとおりである。

・ 墓口から墓室に至る通路の名称については、伝統的・一般的な呼称が確認されていないことから「羨 道」と仮称した。

・ 墓口の方位は、座標北を表す。主軸方位は墓室奥壁を背にして墓口方向をみている。

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9.蔵骨器の分類及び名称と、各部名称・計測位置については、浦添市教育委員会刊行の浦添市文  化財調査研究報告書第 25 集『伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者』(1997 年)および浦添市  文化財調査研究報告書『比嘉門中墓の家族史−家族の数だけ歴史がある− 比嘉門中墓の調査概要』  (2006 年)を参考にしている。

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(9)

10. 窓・屋門の部位名称と計測位置は下記のとおりである。

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11. 下記の遺物の各部名称と計測位置は以下のとおりである。

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(10)

目 次

巻頭図版

序文・例言・凡例・目次

報告書抄録

第 1 章 はじめに

 第1節 調査に至る経緯

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1

 第2節 調査体制

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1

 第3節 調査の経過

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2

第2章 遺跡の位置と環境

 第1節 浦添市の地理的環境 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7

 第2節 遺跡の地理的環境 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7

 第3節 遺跡周辺の歴史的環境

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9

第3章 前田真知堂A丘陵の調査成果

 第1節 調査の方法

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

12

 第2節 層序と遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

12

 第3節 遺物

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

13

 第4節 各墓の調査成果

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

19

 第5節 人骨分析に関する所見

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

46

 第6節 まとめ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

50

第 4 章 前田西上原A丘陵の調査成果

 第1節 調査の方法

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

61

 第2節 層序と遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

61

 第3節 遺物

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

62

 第4節 各墓の調査成果

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

66

 第5節 人骨分析に関する所見

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

85

 第6節 まとめ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

87

第 5 章 前田西前田原A丘陵の調査成果

 第1節 調査の方法

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

89

 第2節 層序と遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

89

 第3節 遺物

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

93

 第4節 各墓の調査成果

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

97

 第5節 人骨分析に関する所見

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

144

(11)

巻頭写真

第 1 図 遺跡の位置 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8

第 2 図 前田・経塚の小字図 ・・・・・・・・・・・・・ 8

第 3 図 調査地区の位置図 ・・・・・・・・・・・・・・ 11

第4図 前田真知堂A丘陵地形図 ・・・・・・・・・・ 14

第 5 図 33 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21

第 6 図 33 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・ 22

第 7 図 49 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23

第 8 図 49 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・ 25

第 9 図 51 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27

第 10 図 51 号墓出土転用蔵骨器(1) ・・・・・・・ 28

第 11 図 51 号墓出土転用蔵骨器(2) ・・・・・・・ 29

第 12 図 51 号墓墓室出土遺物 ・・・・・・・・・・・ 30

第 13 図 55 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 32

第 14 図 55 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・ 33

第 15 図 55 号墓出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・ 34

第 16 図 56 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 35

第 17 図 58 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 37

第 18 図 60 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 39

第 19 図 60 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・ 41

第 20 図 60 号墓副葬品 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 42

第 21 図 66 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 43

第 22 図 66 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・ 45

第 23 図 前田真知堂 A 丘陵全体地形図 ・・・・・・ 53

第 24 図 前田西上原 A 丘陵地形図 ・・・・・・・・・ 63

第 25 図 1 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 67

第 26 図 1 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・ 69

第 27 図 4 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 72

第 28 図 4 号墓蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74

第 29 図 4 号墓出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・ 75

第 30 図 6 号墓遺構図(1) ・・・・・・・・・・・・・ 76

第 31 図 6 号墓遺構図(2) ・・・・・・・・・・・・・ 77

第 32 図 6 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・ 78

第 33 図 6 号墓出土遺物(1) ・・・・・・・・・・・・ 80

第 34 図 6 号墓出土遺物(2) ・・・・・・・・・・・・ 81

表目次

第 1 表 墓室の平面形の類型 ・・・・・・・・・・・・・・ 15

第 2-1 表 前田真知堂A丘陵の遺構一覧表 ・・・・・ 16

第 2-2 表 前田真知堂A丘陵の遺構一覧表 ・・・・・ 17

第 3 表 前田真知堂A丘陵の出土遺物一覧表 ・・・ 18

第 4 表 前田真知堂A丘陵の出土人骨一覧表 ・・・ 48

第 5 表 前田真知堂A丘陵の検出された人骨の     個体数一覧(墓別) ・・・・・・・・・・・・・・・ 49

第 6 表 上顎骨及び下顎骨の歯列残存状況 ・・・・・ 49

第 7 表 骨に見られる変異等の観察表 49

挿図目次

巻頭 1 前田真知堂A丘陵南側完掘状況(上)と北側       完掘状況(下)

巻頭 2 前田西上原A丘陵完掘状況(上)と前田西前     田原 A 丘陵完掘状況(下)

第 36 図 前田西前田原 A 丘陵地形図 ・・・・・・・ 90

第 37 図 2 号墓・28 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・ 98

第 38 図 2 号墓出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・ 100

第 39 図 28 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・ 101

第 40 図 4 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 105

第 41 図 4 号墓出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・ 106

第 42 図 13 号墓・14 号墓遺構図 ・・・・・・・・・ 107

第 43 図 13 号墓出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・ 110

第 44 図 14 号墓出土遺物(1) ・・・・・・・・・・・ 111

第 45 図 14 号墓出土遺物(2) ・・・・・・・・・・・ 112

第 46 図 15 号墓・25 号墓遺構図 ・・・・・・・・・ 114

第 47 図 15 号墓出土遺物(1) ・・・・・・・・・・・ 116

第 48 図 15 号墓出土遺物(2) ・・・・・・・・・・・ 117

第 49 図 15 号墓出土遺物(3) ・・・・・・・・・・・ 118

第 50 図 25 号墓出土遺物(1) ・・・・・・・・・・・ 119

第 51 図 25 号墓出土遺物(2) ・・・・・・・・・・・ 121

第 52 図 16 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 124

第 53 図 16 号墓出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・ 125

第 54 図 17 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 127

第 55 図 17 号墓出土遺物(1) ・・・・・・・・・・・ 131

第 56 図 17 号墓出土遺物(2) ・・・・・・・・・・・ 132

第 57 図 17 号墓出土遺物(3) ・・・・・・・・・・・ 133

第 58 図 17 号墓出土遺物(4) ・・・・・・・・・・・ 134

第 59 図 17 号墓出土遺物(5) ・・・・・・・・・・・ 135

第 60 図 17 号墓出土遺物(6) ・・・・・・・・・・・ 136

第 61 図 21 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 137

第 62 図 21 号墓出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・ 138

第 63 図 26 号墓遺構図 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 139

第 64 図 26 号墓出土遺物(1) ・・・・・・・・・・・ 140

第 65 図 26 号墓出土遺物(2) ・・・・・・・・・・・ 140

第 66 図 9 号墓・19 号墓・20 号墓出土遺物 ・・ 142

(12)

図版 1 着手前(左)と蔵骨器検出状況(右) ・・・ 20

図版 2 丘陵北東側から撮影 ・・・・・・・・・・・・・・ 21

図版目次

第 8 表 齲歯一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50

第 9 表 下顎犬歯に観察されるエナメル質減形成     一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50

第 10 表 真知堂 A 丘陵遺構一覧表 ・・・・・・・・・・ 51

第 11 表 真知堂 A 丘陵遺構と類型 ・・・・・・・・・・ 54

第 12 表 銘書からみた墓の使用年代 ・・・・・・・・ 57

第 13-1 表 真知堂A丘陵の銘書一覧 ・・・・・・・・・ 58

第 13-2 表 真知堂A丘陵の銘書一覧 ・・・・・・・・・ 59

第 13-3 表 真知堂A丘陵の銘書一覧 ・・・・・・・・・ 60

第 14 表 西上原A丘陵の遺構一覧表 ・・・・・・・・ 64

第 15 表 西上原A丘陵の遺物一覧表 ・・・・・・・・ 65

第 16 表 4 号墓出土陶磁器の観察一覧表 ・・・・・・ 75

第 17 表 6 号墓出土陶磁器の観察一覧表 ・・・・・・ 79

第 18 表 西上原 A 丘陵の出土人骨一覧表 ・・・・・ 86

第 19 表 上顎骨及び下顎骨の歯列残存状況 ・・・・ 86

第 20 表 下顎犬歯に観察されるエナメル質減形成 86 第 21-1 表 西前田原 A 丘陵の遺構一覧表 ・・・・・ 91

第 21-2 表 西前田原 A 丘陵の遺構一覧表 ・・・・・ 92

第 22-1 表 西前田原 A 丘陵の出土遺物一覧表 ・・ 95

第 22-2 表 西前田原 A 丘陵の出土遺物一覧表 ・・ 96

第 23 表 28 号墓の蔵骨器観察一覧表 ・・・・・・・ 103

第 24 表 28 号墓の蔵骨器銘書一覧表 ・・・・・・・ 104

第 25-1 表 13・14 号墓出土陶磁器の観察一覧表108 第 25-2 表 13・14 号墓出土陶磁器の観察一覧表109 第 26-1 表 15・25 号墓出土陶磁器の観察一覧表115 第 26-2 表 15・25 号墓出土陶磁器の観察一覧表118 第 26-3 表 15・25 号墓出土陶磁器の観察一覧表120 第 27 表 16 号墓出土陶磁器の観察一覧表 ・・・・ 125

第 28-1 表 17 号墓出土陶磁器の観察一覧表 ・・ 128

第 28-2 表 17 号墓出土陶磁器の観察一覧表 ・・ 129

第 28-3 表 17 号墓出土陶磁器の観察一覧表 ・・ 130

第 29 表 その他の墓の出土陶磁器の観察一覧表 141 第 30 表 6 号墓の蔵骨器銘書一覧表 ・・・・・・・・ 144

第 31 表 西前田原 A 丘陵の出土人骨一覧表 ・・・ 144

第 32 表 墓別による人骨の最小個体数一覧表 ・ 146

第 33 表 上顎骨及び下顎骨の歯列残存状況 ・・・ 146

第 34 表 骨に見られる変異等の観察表 ・・・・・・ 146

第 35 表 統制番号を付する陶磁器一覧表 ・・・・ 149

図版 3 33 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・ 22

図版 4 49 号墓遺構・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24

図版 5 49 号墓出土蔵骨器と銘書・・・・・・・・・・・ 25

図版 6 簪 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25

図版 7 51 号墓遺構・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26

図版 8 51 号墓出土転用蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・ 28

図版 9 55 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31

図版 10 55 号墓出土蔵骨器  ・・・・・・・・・・・・・ 33

図版 11 56 号墓位置 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35

図版 12 56 号墓遺構 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36

図版 13 58 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37

図版 14 60 号墓遺構位置  ・・・・・・・・・・・・・・ 38

図版 15 60 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40

図版 16 60 号墓出土蔵骨器  ・・・・・・・・・・・・・ 42

図版 17 66 号墓位置  ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44

図版 18 66 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44

図版 19 66 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・ 45

図版 20 1 号墓  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 66

図版 21 1 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・ 70

図版 22 1 号墓・8 号墓出土遺物  ・・・・・・・・・ 71

図版 23 4 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 73

図版 24 4 号墓蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74

図版 25 6 号墓遺構(1)  ・・・・・・・・・・・・・・・ 77

図版 26 6 号墓遺構(2)  ・・・・・・・・・・・・・・・ 78

図版 27 6 号墓出土蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・ 78

図版 28 6 号墓出土遺物(戦争遺物) ・・・・・・・・ 82

図版 29 その他の墓の出土遺物 ・・・・・・・・・・・・ 83

図版 30 その他の墓  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 84

図版 31 6 号墓出土人骨  ・・・・・・・・・・・・・・・ 86

図版 32 2・28 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・ 99

図版 33 28 号墓出土蔵骨器  ・・・・・・・・・・・・ 102

図版 34 4 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 104

図版 35 13・14 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・ 108

図版 36 15 号墓・25 号墓遺構  ・・・・・・・・・ 113

図版 37 25 号墓出土遺物  ・・・・・・・・・・・・・ 122

図版 38 16 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・ 123

図版 39 17 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・ 126

図版 40 21 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・ 138

図版 41 26 号墓遺構  ・・・・・・・・・・・・・・・・ 139

(13)

第 1 章 はじめに

第1節 調査に至る経緯

 浦添南第一土地区画整理事業は、浦添市を事業主体とする字前田、経塚にまたがる総面積 82.4 ヘ クタールの土地区画整理事業である。本事業は平成3年度に都市計画決定し、平成4年度より同事業 が着手されている。

 当該事業の実施に伴い浦添市教育委員会は現地踏査を実施し、更に平成6∼9年度にかけて同事業 地内の分布調査を実施した。その結果、地内の丘陵各所において方言名で「フィンチャー」と称す る横穴式の墓を多数確認した。その総数は事業地内に約 1,000 基の墓が所在するものと推定された (浦添市教育委員会 1998)。その後、事業の進捗に従って随時範囲確認調査を実施し、実数の把握に 努めるとともに(浦添市教育委員会 2007a、2010、2013a)、開発スケジュールとの整合性をとり ながら順次緊急発掘調査を行い、その調査成果をまとめている(浦添市教育委員会 2007b、2011、 2012、2013b、2014)。

 同区画整理事業地の前田地区に位置する真知堂A丘陵、前田西上原 A 丘陵、前田西前田原A丘陵 においても道路・宅地造成工事が予定されており、その緊急発掘調査成果を報告するものである。  発掘調査を実施することとなり、平成 25 年 6 月 25 日付で市区画整理課と市教育委員会の間に、 埋蔵文化財の緊急発掘調査業務委託契約が締結された。また平成 26 年度には、平成 26 年 5 月 23 日付で新規の現場の業務委託とあわせて、本報告書刊行のための資料整理業務委託契約を締結した。

第2節 調査体制

 調査の体制は下記のとおりである。

調査主体  浦添市教育委員会   教育長 池原 寛安(平成 25 ∼ 26 年度)   事業所管  浦添市教育委員会文化部 部長 下地 安広(平成 25 ∼ 26 年度) 事業総括      同   文化課 課長 松川 章(平成 25 ∼ 26 年度) 事業調整      同    文化財係長 渡久地 政嗣(平成 25 ∼ 26 年度) 事業事務      同   文化財係主任 安和 吉則(平成 25 ∼ 26 年度)       同   文化財係主事 安斎 英介(平成 25 年度)       同      菅原 広史(平成 25 ∼ 26 年度)       同  文化振興係主事 松田 奈津子(平成 25 年度)       同     臨時職員 宮里 磨(平成 25 年度)       同     臨時職員 上原 仁美(平成 26 年度) 調査員       同   文化財係主任 安和 吉則(平成 25 ∼ 26 年度)       同   文化財係主事 安斎 英介(平成 25 年度)            同 グスク整備係主事 安斎 英介(平成 26 年度)

(14)

資料整理・嘱託職員

平成 25 年度(嘱託職員) 糸数 永子、金城 真由美、島袋 吏乃、白木 由子、新城 京美

平成 26 年度(嘱託職員) 池宮城 聡子、糸数 永子、浦崎 祐子、新城 京美、照屋 芳美、比嘉 美智子  調査協力 志良堂 恵、勝野 久美子、照屋 葉史、宮城 かの子

委託業務

平成 25 年度 発掘支援業務委託(前田真知堂A丘陵) 株式会社 イビソク 沖縄支店

平成 25 年度 発掘支援業務委託(前田西上原 A 丘陵・前田西前田原A丘陵) 有限会社 ティガネー 平成 26 年度 遺物実測等業務委託 株式会社 琉球サーベイ

第3節 調査の経過

(1)前田真知堂A丘陵

○平成 25 年 7 月 22 日∼ 8 月 30 日

 発掘調査に伴う諸準備、赤土流出防止申請、現場の着手前RC撮影、防蛇網設置、伐採作業等を行った。

○平成 25 年 9 月 2 日∼ 9 月 7 日

 測量基準点の設置、防蛇網解体作業、現場事務所設置、磁気探査を行った。

○平成 25 年 9 月 9 日∼ 9 月 14 日

 引き続き磁気探査を実施。地質調査、重機等による除根作業、排土運搬を行った。

○平成 25 年 9 月 16 日∼ 9 月 21 日

 排土運搬、表土掘削を行う。不発弾の発見に伴い、磁気探査を行う。

○平成 25 年 9 月 23 日∼ 9 月 28 日

 沈砂池の設営、重機で丘陵東端部尾根北側より遺構確認作業を行う。小規模な墓が 6 基出土(31 ∼ 36 号墓)。尾根南北両側の盛土を1∼2m厚さで除去。尾根地形及び墓の略測を行った。

○平成 25 年 9 月 29 日∼ 10 月 4 日

 尾根南面の磁気探査、重機による遺構確認作業を実施。8 基の埋没墓(39 ∼ 46 号墓)が出土したが、 周辺地盤が緩く、遺構の残存状態も悪い。週末は台風接近に伴う養生作業を実施した。

○平成 25 年 10 月 7 日∼ 10 月 11 日

 南面東端部より遺構の掘削作業を開始。墓に関係しない人骨や不発弾が出土し、警察・自衛隊へ連 絡した。北面上段の遺構(31 ∼ 34 号墓)の掘削を行った。

○平成 25 年 10 月 15 日∼ 10 月 18 日

(15)

北面の遺構(31 ∼ 33・35 ∼ 37 号墓)の掘削を行い、32 号墓は遺物取上げ、33 号墓は蔵骨器安 置状況の撮影を行った。

○平成 25 年 10 月 21 日∼ 10 月 25 日

 蔵骨器(33・36・42 号墓)の取上げ作業、遺構(39・48・49 号墓)の掘削作業、完掘後(33・ 35・36 号墓)の撮影を行った。39 号墓は石組遺構の撮影、測量を行った。23 ∼ 25 日は雨天のた め作業を中止。図面作成、台帳整理、遺物整理を行った。

○平成 25 年 10 月 28 日∼ 11 月 2 日

 遺構(37 ∼ 39・51・52 号墓)の掘削作業を行った。39 号墓では石材取り外し後、下層から多 量の蔵骨器片が出土し、同墓は下層の墓の崩落後に構築された墓と判断され、下層の墓を 51 号墓と し遺構の掘削作業を進め、完掘後撮影、測量を行った。尾根南面では完掘後の全景撮影のための清掃 作業を行い、撮影後に地形測量を実施した。10 月 30 日に尾根北面下段の墓(54 ∼ 64 号墓)の撮 影を行った。尾根南面の埋め戻しを 11 月 1・2・8・11 日に行った。

○平成 25 年 11 月 5 日∼ 11 月 8 日

 尾根北面の墓(54 ∼ 65 号墓)の掘削作業を行った。墓室より蔵骨器 1 点確認(55 ∼ 57 号墓)し、 撮影、測量を行った。小規模な墓(54 ∼ 57・59・61・63・65 号墓)が多く完掘後、随時撮影と 測量を行った。

○平成 25 年 11 月 11 日∼ 11 月 15 日

 尾根南面の埋め戻し終了。遺物の洗浄作業を開始。60 号墓の墓室奥壁の閉塞石を確認し、撮影、 測量を行った。測量後に閉塞石を取り外し、イケ状の掘り込み部に安置された蔵骨器 1 点を確認した。 撮影、蔵骨器の取り上げ、測量を実施した。

○平成 25 年 11 月 18 日∼平成 25 年 11 月 22 日

 遺構掘削作業の終了により、尾根北側の清掃作業、完掘状況の全景撮影、地形測量を行った。測量 後は、現場の埋め戻しを開始した。

○平成 25 年 11 月 25 日∼平成 25 年 12 月 10 日

 沈砂池の埋め戻し、遺物洗浄、図面写真等整理作業を行った。12 月 10 日に現場事務所の撤収及 び調査区の吹き付けを行った。

(2)前田西上原A丘陵

○平成 25 年 10 月 28 日∼ 31 日

(16)

○平成 25 年 11 月 5 日∼6日

 引き続き調査区全体の伐採作業を実施し、伐採木の集積、一部の搬出作業を行った。6日には伐採 作業が完了した。遺構番号で仮1としたものはコンクリート墓の下方や後方に遺構が確認されなかっ たために遺構番号を抹消し、遺構番号を仮番号から正規の番号(1 ∼ 5 号)にふり直しを行った。

○平成 25 年 11 月 7 日∼ 13 日

 調査区に散在・集積していたごみの片付けを実施。ごみの除去後に、不発弾確認のための磁気探査 や地質調査のためのサウンディングを実施した。8日には、探査中に不発弾を発見し、警察に通報後、 自衛隊による緊急回収が行われた。11 日より遺構近くの木の抜根作業や掘削着手前の土量の検測作 業を実施した。12 日には調査区北側斜面の掘削作業を実施し、50cm ほどで地山を検出した。13 日 にはコンクリート墓1の除去作業を実施した。

○平成 25 年 11 月 14 日∼ 22 日

 1 号墓と 2 号墓の調査を実施。1 号は墓口付近の掘削を実施し、墓口の閉塞石を検出した。墓室内 を完掘後に、測量・写真撮影などを実施した。2 号墓は墓庭部分の埋土の半裁を実施したところ、小 規模な遺構を検出した。遺物等から戦時中の遺構と判断された。また、2 号の脇に小規模な遺構が検 出された(8 号墓とした)。遺構内より赤瓦を検出した。

○平成 25 年 11 月 26 日∼ 29 日

 3 号墓と周辺の機械による表土掘削を実施した。墓庭を半裁したところ 3 号墓の墓庭より戦時中の 遺骨を検出した。また、3 号墓の墓庭の掘削を進めたところ下部より別の墓室を検出した(6 号墓と した)。3 号墓は墓室を完掘し、測量・写真撮影などを実施した。4 号墓は埋土がほとんどなく、蔵 骨器が倒れている状態であった。遺物を取り上げ後、撮影を実施した。平行して 5・6 号墓も掘削作 業を実施した。

○平成 25 年 12 月 2 日∼5日

 4 号墓から 6 号墓の作業を実施。4 号・5 号墓の墓庭からピットや鉄片、木片などが多数出土した。 これらは遺物などから戦争時の遺構であると考えられた。6 号墓の掘削を実施し、シルヒラシに該当 すると思われる部分を検出した。シルヒラシより陶製の蔵骨器が出土した。墓室棚にも潰れた蔵骨器 が確認されたことから、戦時中に天井が崩落して埋没した遺構であることが判明した。また、3 号墓 の南側の掘込遺構を 7 号墓とした。

○平成 25 年 12 月 6 日∼ 9 日

(17)

○平成 25 年 12 月 10 日∼ 26 日

 引き続き 6 号墓の掘削作業を実施し、完掘後に測量・写真撮影などを実施した。調査区全体の清 掃を実施した。11 日から 13 日には遺物の洗浄作業を実施した。26 日にはラジコンヘリで、丘陵全 体の全景撮影を実施した。

(3)前田西前田原A丘陵

○平成 25 年7月 24 日∼8月6日

 調査区の墓の基数確認調査を行い、測量基準点の設置など調査にかかわる準備作業を行った。その ほか、調査前の全景写真と遺構の個別写真を撮影した。

○平成 25 年8月7日∼ 15 日

 調査区範囲内の伐採作業と並行し、防蛇網の設置や赤土の流出防止対策を行った。

○平成 25 年8月 16 日∼ 22 日

 1 ∼ 18 号墓の遺構検出作業および写真撮影を行った。並行して、磁気探査を行った。

○平成 25 年8月 23 日∼9月5日

 遺構の掘削作業を開始したところ、新たに墓を検出したため (19・20 号墓 ) 遺構の検出作業と写 真撮影を行った。その後掘削作業を実施し、終了次第完掘状況の写真撮影を行った (6・10・11・ 19・20 号墓 )。また、6 号墓の墓庭埋土の掘削作業を開始した。9月3日は雨天のため作業を中止 した。

○平成 25 年9月6日∼ 13 日

 遺構の掘削作業を行い、終了次第完掘状況の写真撮影を行った (5、7 ∼ 9 号墓 )。7 号墓は掘削後 に遺物検出作業と写真撮影を行い、遺物の取り上げを行った。また、9 号墓下方の掘削作業により新 たに墓を検出したため (21 号墓 ) 遺構の検出作業と写真撮影を行い、掘削を開始した。

○平成 25 年9月 17 日∼ 10 月1日

 遺構の掘削作業の際、新たに 4 基の墓を検出 (22 ∼ 25 号墓 )。これらは遺構の検出作業と写真撮 影ののち、同様に掘削作業と完掘状況の写真撮影を行った (12 ∼ 14、21 ∼ 24 号墓 )。うち、13・ 14・21・25 号墓で遺物検出作業を行い、写真撮影後遺物の取り上げを実施した。また、15 号墓の 東側から新たに墓を検出したため、遺構検出作業と写真撮影を行った (26 号墓 )。並行して、調査区 上面の掘削作業も行った。

○平成 25 年 10 月2日∼ 12 日 

(18)

○平成 25 年 10 月 15 日∼ 28 日

 引き続き遺構の掘削作業を行っていた際、新たに 3 基の墓を検出 (28 ∼ 30 号墓 )。これらは遺構 の検出作業と写真撮影ののち、同様に掘削作業と完掘状況の写真撮影を行った (1 ∼ 5、15 ∼ 18、 25、27 ∼ 30 号墓 )。うち、27・28 号墓で遺物検出作業を行い、写真撮影後遺物の取上を実施した。 なお、28 号墓からは蔵骨器のほか人骨も検出し、写真撮影後取り上げを行った。28 日には調査を終 えたため、現場内外の清掃を行い、調査区の完掘後の全景と遺構の個別写真を撮影した。24 日は雨 天のため作業を中止した。

○平成 25 年 10 月 29 日∼ 12 月 25 日

 出土した遺物の洗浄・整理作業と、遺構の実測作業を行った。そのほか、12 月 24 日に赤土流出 防止のため、調査区に種子散布を実施した。

〈引用・参考文献〉

浦添市教育委員会 1998『浦添間切前田村・沢岻村域の近世墓と水田跡分布調査』

浦添市教育委員会 2007a『市内遺跡発掘調査報告書(1)−平成 13 ∼ 18 年度調査報告−』 浦添市教育委員会 2007b『前田・経塚近世墓群』

浦添市教育委員会 2010『市内遺跡発掘調査報告書(2)−平成 14 ∼ 20 年度調査報告−』 浦添市教育委員会 2011『前田・経塚近世墓群 2 首里大名地区』

浦添市教育委員会 2012『前田・経塚近世墓群 3 前田真知堂 B 丘陵(1)・前田真知堂 C 丘陵(1)』 浦添市教育委員会 2013a『市内遺跡発掘調査報告書(3)−平成 18 ∼ 23 年度調査報告−』

(19)

第2章 遺跡の位置と環境

第1節 浦添市の地理的環境 

 前田・経塚近世墓群が所在する浦添市は、沖縄本島中南部の西海岸に位置し、南側に県都である那 覇市、東側に西原町、北側に宜野湾市が隣接する。西側は東シナ海に面しており、遠くには慶良間諸 島を望むことができる。市域は東西 8.4km、南北 4.6km、面積は約 19.09k㎡で、人口は 114,254 人、 46,926 世帯(平成 26 年 11 月末現在)を擁する市である。市の西部には国道 58 号線、市中央部に は県道 330 号線と県道那覇宜野湾線、東部には沖縄自動車道がそれぞれ南北に走り、島の南北を結 ぶ主要交通路が縦貫する。海浜部は、約 270ha の地域を米軍牧港補給基地が占めている(第 1 図)。  市の地形は、標高約 40m 前後でほぼ二分され、東部は起伏の小さな丘と浅い谷が連なる波浪状 の丘陵地、西部は東シナ海に続く東高西低の地形である。北部には、北西−南東方向に標高 120 ∼ 140m の浦添断層崖が形成されている。本市の最高点は、字仲間から前田に所在する国指定史跡浦添 城跡内の 138.4m である。それらの丘陵を分水嶺に北流する牧港川、シリン川、西流する小湾川、安 謝川の四河川はいずれも東シナ海へ注いでいる。海岸線はほぼ全面で沖合にかけ豊かなサンゴ礁が発 達している。

 本市に分布する地層は、下位から上位に島尻層群、琉球層群、海浜堆積地及び沖積層に大別できる。 島尻層群は、本市の基盤を形成し市の中央部から南東部に広く露出するが、市西部や北部では琉球層 群が広く分布する。沖積層や海浜堆積物は四つの河川の河口付近や海岸沿いにみることができる。植 生については、本市全域が去る大戦の激戦地であったために、ほとんど焼け野原の状態になり、現在 残っている植被は二次林となっている。気象は隣接する那覇市において年平均気温 22.3 度、降水量 2107.8mm で、冬は北東、夏は南東の季節風が卓越する。気温的には亜熱帯で、降水量は多く特に 梅雨期や台風期に多い。風は東アジア季節風帯に属している。

第2節 遺跡の地理的環境 

 前田・経塚近世墓群は、浦添市の南東に位置する字前田と那覇市に隣接する字経塚一帯の丘陵地に 分布する墓群の総称である。この地域は小湾川と安謝川の上流域で、その分水嶺にまたがる地域であ り、一帯の地形はそれに由来する幾筋もの狭く浅い谷底低地と尾根から構成される。そのため、土地 の起伏に富む丘陵地となっており、幾つもの舌状の小丘陵が入り組む複雑な地形が形成されている。 これらの表層の地質は、豊見城層(小禄砂岩層)で構成されている。この砂岩は固結度が低い細粒の 砂岩層であり、方言名で「ニービ」と呼ばれている。この地域の谷筋は、尾根の森を水源涵養林とし て古くから水田や畑として開発されてきたが、その斜面にはニービを掘り抜いた多くの掘込墓(方言 名:フィンチャー墓)が形成されている。

(20)

字経塚の新設にあたり、字沢岻・字前田・字安波茶の子字をそれぞれ割いて設立した時より、現在の 帰属になっている。

 この地域一帯は、平成3年に浦添市が実施する浦添南 第一土地区画整理事業が都市計画決定され、その翌年か ら着手された。同事業が進行する過程で、上記の墓群が 次々に発見され、現在までにその数が 1,000 基を超えて いる。墓は、西前田原、東前田原、真和志堂原、前原、 真知堂、南小島原、下平良大名原、子ノ方原に主に分布し、 特に真知堂に集中している。平成 21 年度調査では、前田・ 経塚近世墓群が市域をまたいで南側の那覇市大名区域ま で広がることが明確になった(浦添市教育委員会 2011)。  今回報告を行うのは、字前田に所在する真知堂A丘陵、 西上原A丘陵、西前田原A丘陵の三つの丘陵である。  前田真知堂A丘陵は、浦添市字前田の南端に位置する。 周辺は国際センター線及び沢岻石嶺線が開通しており、 同丘陵の北側丘陵は経塚公園予定地となっている。丘陵 は砂岩(ニービ)の地山であり、東西方向に伸びる形状 をしている(第 3 図)。本調査地は、標高約 99 ∼ 108m で、丘陵頂部と裾の平坦部の比高差が 10m の斜面地であ り、その斜面部に横穴を掘り込んだ墓などの遺構が 36 基

N

1km

前田・経塚近世墓群 分布地域

浦添市

沖縄本島

0

宜野湾市

西原町

国道58号

国道330

沖縄 自動車道路

県道241号線

那覇市

米軍牧港 補給基地

N

第 1 図 遺跡の位置

(21)

確認された(浦添市教育委員会 2013)。調査面積は約 2,100㎡の範囲である。

 前田西上原A丘陵は、浦添市字前田の東端に位置する(第 3 図)。西隣は、那覇市首里石嶺地区で ある。丘陵の西方が最も標高が高く、西側にむけてなだらかな下り勾配の斜面地になっている。丘 陵は砂岩(ニービ)の地山であり、丘陵北側の一部は泥岩(クチャ)層である。本調査地は、標高 118 ∼ 126m で比高差が 6 m程であり、丘陵の裾部に横穴を掘り込んだ墓などの遺構が 8 基確認さ れた。調査面積は 990㎡である。

 前田西前田原A丘陵は、浦添市字前田の北西端に位置する(第 3 図)。現況では独立した丘陵地で あるようにみえるが、戦時中の地形図ではもう少し東側に伸びる丘陵であったことが判明しており、 戦後の造成で削られた痕跡が見受けられる。丘陵は砂岩(ニービ)であるが、東側斜面は泥岩(クチャ) 層がある。本調査地は、標高 82 ∼ 90m で比高差は約 8m 程であり、丘陵斜面や裾部に横穴を掘り 込んだ墓や戦時中の防空壕などの遺構が 31 基確認された。調査面積は 1,900㎡である。

第3節 遺跡周辺の歴史的環境

 浦添市が所在する沖縄本島中南部の遺跡分布の特徴としては、貝塚時代後期には海浜部に遺跡群が 形成され、比較的内陸部の遺跡は少ない。グスク時代には、畑作や稲作が行われるようになり、遺跡 も内陸部の石灰岩台地周辺に展開した。前田・経塚地区のように石灰岩台地がなく谷底低地が発達し た地域は、グスク時代遺跡の分布が希薄な地域であると言われている。

 古琉球期の状況については不明な点が多い。「浦添城の前の碑文」によると、1597( 万暦 25) 年に 尚寧王が「宿道」と呼ばれる街道の整備を行い、首里から浦添に至る道を石畳にした。この時、木橋 だった安波茶橋が石橋に替わり、経塚を通る「宿道」が石畳に改められたとされる。また、1609( 万 暦 37) 年に島津軍が琉球に侵攻した際には、首里への侵攻路として利用された。

 近世には地方統治制度として「間切・村制度」が採用され、1649( 順治3) 年に作成された『琉球 国絵図郷村帳』には、南第一地区一帯に「前田村」・「沢岻村」・「あはき村」( 安波茶村 ) の3ヶ村の 名が見える。経塚は行政単位の「村」として成立していないため同図には登場しない。「経塚」の地 名は 1524( 嘉靖3) 年に日秀上人が、現在「経毛」と呼ばれる場所に経塚を建立したことに由来する。 同集落は首里士族の屋取集落として成立、発展した。その成立年代は明らかではないが、1800 年代 前半には屋取集落が成立していたとされる。その後、1879( 明治 12) 年のいわゆる「廃藩置県」によっ て職を失った士族が多く移り住んだことによって、現在の字経塚の基ができた。1916( 大正5) 年には、 沢岻から「洗江良原」「経塚原」「上平良大名原」「下平良大名原」、安波茶から「北経塚原」「南経塚原」、 前田から「南小島原」「西小島原」「子の方原」が分割されて字経塚が成立した。

 前田・経塚近世墓群では 1700 年頃の銘書がある蔵骨器もみられることから、この頃には墓地とし ての利用が始まったと考えられる。これまで確認されている同墓群の墓の所有者については、概ね北 側の前田一帯の墓は、前田の人のものが多く、南側の経塚一帯の墓は、首里の人の墓が多いというデー タがある。経塚は首里の近郊に位置するため、首里の士族層を中心に多くの墓が建立された。そして、 近世以降も現在に至るまで墓の造営は続けられ、墓域としての利用が続いている。

(22)

で戦争に関連する遺構が確認されている。また、墓は民間人の避難場所になっており、これらの墓に ついては多くの証言が得られている。

〈引用・参考文献〉

浦添市教育委員会 1980『うらそえの文化財』 

浦添市史編集委員会 1981『浦添市史 第二巻 資料編1』浦添市

浦添市史編集委員会 1984『浦添市史 第五巻 資料編4 戦争体験記録』浦添市 浦添市史編集委員会 1987『浦添市史 第六巻 資料編5』浦添市

浦添市史編集委員会 1987『浦添市史 第七巻 資料編6』浦添市 浦添市史編集委員会 1989『浦添市史 第一巻 通史編』浦添市

浦添市教育委員会 1998『浦添間切前田村・沢岻村域の近世墓と水田跡分布調査』 経塚自治会 2006『字経塚史』

浦添市教育委員会 2011『前田・経塚近世墓群2 首里大名地区』

(23)

−1

1−

経塚上平良大名原

経塚下平良大名原

経塚子の方原 経塚南小島原

前田真知堂

前田真和志堂

前田東前田原 前田前原

前田西上原 前田前田原

前田西前田原

経塚西小島原

前田黒島原

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(24)

第3章 前田真知堂A丘陵の調査成果

第1節 調査の方法

 本地区(第 3 図)の調査前の状況は、東側から西側にゆるやかに傾斜する丘陵の尾根部分のみが 露頭していた。これは、該丘陵と周辺標高では 3 ∼ 5 mの比高差があって、降雨等の度に丘陵外縁 に水が溜まってプール状になる危険な状況があったため、安全対策として一時的な盛土が行われて平 坦地を形成したことによる。このような状況から、当丘陵の調査はまず露頭する尾根部分の伐採を人 力で、除根と盛土の除去を重機等で行った。盛土の除去に際しては、排土置き場の関係から、西側に 比べて標高がやや高い尾根北側東端部から行った。北側の墓は傾斜地形に沿うように東側から西側へ 横並びして造られており、部分的に上段・下段を形成していた。盛土を除去していくと墓口上部が僅 かに確認できるものや、墓室の天井が崩落したと想定される地形上の凹みが散見された。

 丘陵南側の調査も北側同様に東側から西側に進めていった。南側は北側に比べて遺構の上部層が軟 質のせいか遺構の残存状態は著しく不良で、盛土と表土を除去すると、尾根頂部から遺構床面までは 比高差 6 ∼ 10 mでほぼ垂直になる崖状地形を呈した。また、沖縄戦時の砲弾片や銃弾等が多数確認 されたほか、一部の墓では戦後の補修等が確認された。

 これらの盛土及び表土の除去については、作業効率上バックホウを用いた機械掘削で行った。掘削 の過程で、墓正面や庭囲い等が露出し出すと、順次人力掘削に切り替えて遺構細部の検出作業を行っ た。前田・経塚近世墓群の遺構は、そのほとんどが地山である細粒砂岩(ニービ)の丘陵に掘りこま れていることから、地山まで掘り下げることで造墓時および使用時の遺構面を検出することができる。 人力掘削の結果、前田真知堂A丘陵では、北側では丘陵の中央付近で部分的に上・下に段を形成しつ つ、各段で墓が横並びする状況が確認され、合計 31 基の墓を検出した。遺構番号については、発掘 調査の際には検出した順に 1 号墓、2 号墓と付していたが、平成 15 年度に該丘陵東側の範囲確認調 査を実施していることから、整理作業の際に平成 15 年度時の墓番号に後続させて、31 号墓から順 に番号を振り直して資料整理を行った。

 これらの遺構を検出した後、順次遺構内の掘削を進めた。その結果、遺構や遺物の残存状態が確認 できる 8 基の墓と、戦後も使用されて区画整理に伴い移転した墓や後世の攪乱などの影響から遺構 や遺物の残存状態が悪い「空き墓」とそれに近い状態の 23 基の墓の計 31 基の墓が所在しているこ とが判明した。前者の遺物を伴い、かつ遺構との関係性が明確な墓については、1/20 の実測図の作 成を行った。後者の墓については、略測図の作成を行った。写真撮影は適宜、調査開始から完掘まで 行った。また、これ以外に戦時中に造られた壕が 1 箇所確認されたが、先述した比高差 10 mの軟質 層下に位置していたため作業の安全面を考慮して調査は行わなかった。

第2節 層序と遺構

(25)

た墓については、墓の内部にはほとんど埋土がない状態が確認された。このような状況であることか ら、本調査区では明確な層序関係を把握することはかなわなかった。

 ところで、層序とは関係しないが墓を造る際に基盤層の中で最も固い層理に墓室天井(又は墓正面 上部)を構築する傾向が窺えた。このことは同地区の墓が複数段を形成しても整然と横並びする一因 と推察された。

 検出された遺構は 31 基(丘陵南側 9 基、北側 22 基)で、全て横穴状の掘込墓であった(第 4 図) が、丘陵の南北で墓の残存状態が異なることが確認された。南側の遺構は、墓室天井が崩落して埋没 する状況であったが、墓口や墓室のプランも掴めないほど攪乱され、出土した遺物も日用品や戦争関 係遺物で占められていた。近辺で壕に構築されている状況も併せて考えると一連の状況が戦時中の撹 乱によるものと推察された。これに対して、北側は全体的に遺構の残存状態が良好で、墓が機能して いた頃の状態がパックされた状態で 2 基検出されたほか、移転時に蔵骨器を廃棄した墓も 5 基確認 された。また、遺構は北側で一部、上下に段を形成する部分もあるが、上段は西側へ向かう途中から 墓が造られなくなる。その原因は尾根近辺での横穴部の奥行きの確保が出来なかったことが推察され た。それぞれの遺構の特徴については、第 2 表にその概要を記した。なお、墓室の類型については、 浦添市教育委員会 2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)』掲載の第1表を改訂して用いている。

第3節 遺物

 遺物は、総計で 471 点出土した。数量と内訳は、第 3 表のとおりである。主たるものとしては、 陶製蔵骨器や副葬品と思われる陶磁器類が出土している。また表土層からは、戦時中の砲弾片などの 戦争遺物も多く出土した。遺物については、基本的に墓毎に取り上げ作業を行った。以下に種類ごと にその概要を述べる。

(1)蔵骨器

 出土遺物中、最も多かったのが蔵骨器である。総点数は 385 点が検出された。そのうち、接合・ 復元できたものは蓋 47 点、身 58 点であった。その種類と数量は第 3 表に記したとおりである。沖 縄の那覇市壷屋産のものと考えられる。

(26)

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第4図 前田真知堂A丘陵地形図

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(27)

第 1 表 墓室の平面形の類型

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第 2-1 表 前田真知堂A丘陵の遺構一覧表

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参照

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・この1年で「信仰に基づいた伝統的な祭り(A)」または「地域に根付いた行事としての祭り(B)」に行った方で

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(ア) 上記(50)(ア)の意見に対し、 UNID からの意見の表明において、 Super Fine Powder は、. 一般の

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63  EP及びCI反論書 2. (2) (a) . 64  EP及びCI反論書 2. (2)